呪いの言葉
※今回も自分語りなので読まなくていいです。
「あの感動をもう一度」っていう言葉がありますよね。夏の甲子園とか映画の地上波放映の時の宣伝文句とか、とにかく小さいころからよく耳にして刷り込まれてきた決まり文句です。
これが最近、私の頭の中で繰り返し浮かび上がってくるのですが、どうしてもこれが耐えられません。
最近疲れているせいか、どうしても素晴らしいものに触れて、精神力を回復させたい、という気持ちはあるのですが、これは良くないのです。
どうしてもここで指す感動、というものは最初に感じたものとまったく同じではない。もう既に一回その内容に触れ、体験し、心を震わせた経験があります。その経験は二度と味わえるものではないのです。
また、「あの感動をもう一度」というのは目的を誤っている。感動するためにその作品を鑑賞する、というのは因果が逆転しているようで好きになれません。私はこの方法に納得したくないのです。その作品にとても失礼な気もしますし、私の信じた道ではないからです。
自分の弱さからこの言葉に囚われ、気にすれば気にするほど深みにはまっていくことをとてもツラく、また、不甲斐なく思っています。
ただ、ここで留意すべきなのは、物事はすべて最初の驚きや感覚に価値がある、というわけではありません。二度目以降の新たな発見や、自身の成長に伴い、モノの見方は変わっていきます。かつて触れていたものの新たな素晴らしさを発見できることもあるでしょう。*1
また、このキャッチコピーもまた悪ではありません。あの感動、というのはかつての感動と同質ではありながら、違うものです。それをわかっているなら/もしくは気づけるならば*2、それはかつての感動の回顧が現在に生きるということ*3でまったくもってよろしいことなのです。*4
じゃあなんで自分がダメかというと、自分は何も成長できていない、何も得られていない、それなのにその浅ましさから自己の平穏だけをみっともなく求め、素晴らしかった過去の経験をも汚してしまうという恐怖と自己嫌悪が激しいからです。全ては自分自身の中の問題で、自分の問題なのです。
生きづらい。