すべての雑感

自分用の備忘録です

食育論

※これはお題箱に投稿されたテーマです
題:食育論。「好き嫌い」を悪とし、無理に食べさせようとする行為自体についての見解。


まず、私自身について書いてみます。私は、食物アレルギーなどはありますが、お陰さまで好き嫌いについては少ないと思います。
この要因として、以下のものが挙げられます。
1.特定の食品を忌避する原因となる食体験がない。
2.母親がバランスのよい食事を作ってくれた。
3.親と食事を取っていた。

1つ目は、わかりやすく言うと、苦手なものを無理やり親に食べさせられなかった、ということです。食物に対して大量のアレルギー反応をしめしていたこともありますが、両親は私が嫌がるものを、数回ならともかく、過度にすすめたりはしませんでした。
これは私がそういったものを口にしたあとに具合が悪くなったり、戻したりしたこともあるからでしょう。そこまでして食べても意味がないと考えていたようです。
また、美味しいといって食べてくれないとつまらないみたいでした。
そのおかげで、苦手なものは少なく、食べたことのないものでも食べてみよう、と食に対して前向きな気持ちすらあります。有りがたいことです。
給食は味がぼんやりしていましたし、火を入れすぎているのかくたくたになっていてよくわからないものもありましたので、大丈夫でした。一応アレルギー申告で危ないのは弾いていましたし。

2つ目は、私が食物アレルギー持ちなことに由来します。食物アレルギーといっても度合いがありますよね。例えば食べると具合が悪くなるものから、食べると死んでしまうものまであるわけです。
私は幸いにして、ほとんどのものは食べると具合が悪くなるか、それ未満のものでした。
そのため、ローテーションして色んなものを食べることで、アレルギー症状を抑えていました。
こういった経緯で、母は毎日色んなメニューをバランスよく出してくれるわけです。
本当に月並みですが、母の愛です。
こうして色んなものを食べるということは、色んな料理にチャレンジするということです。そうすると、あれは嫌いだったけど、これに入っていると美味しい、とか、これにはあうけどこれには合わない、というように、料理単体というより食べ合わせにも大きな力があることがわかってきます。そうなると、所謂単品での好き嫌いということは割かし少なくなってきます。

3つ目は、よく食育としても言われていることですね。親というのは、子供を人間にする大きな貢献要素です。
子供は親を見て育ちます。その初期において最も行われることは模倣でしょう。
私が食事を楽しい、美味しいと感情で認識できるのは、親のお陰でしょう。いいサンプルでした。
また、親が好き嫌いしないで食べているとそれを真似するものだと思います。
もし自分に合わなくても、将来合うという、可能性を感じさせる子供への教導も大切です。



これらの体験を踏まえて考えるに、好き嫌いをしてはいけない、と本人が嫌がっているものを無理やりに食べさせることは下策ではないでしょうか。
食べないといけない、という強迫観念を植え付けるまで行くと、アウトかと。
ここら辺は子供とよくコミュニケーションを取り、説得も交え、一緒に学んでいきましょう。
もし、嫌いなものを食べられたらめちゃめちゃほめましょう。
偏食を避けるためにバランスよく子供に食べさせることは必要ですが、何度も無理やりに食べさせることで偏食が解決できるとは思えません。
もし嫌がっていても、こちら側の工夫次第で食べてくれることもあるかもしれません。
辛抱強くやっていきましょう。
勿論、アレルギーなどは先に検査して把握しておくことが大切です。
子供が小さいうちは医療補助が大きく出る地区もあります。しらべましょう。
現代は料理レシピに富んでおり、あちらこちらで良いものが見れますが、おすすめはcookpadではなく、NHKきょうの料理などです。
まずはLINEのきょうの料理アカウントを友達登録してみると良いです。土井先生推しです。
私自身の経験からしか語らないという、大変稚拙な書き方をしてしまいましたが、なにか参考になれば幸いです。